源義朝 1123生まれ。源為義の長男として誕生。東国の武士団を率いて保元の乱で功績を残す。しかし、1160年平治の乱で敗北し、尾張国(現在の愛知県美浜町)で謀反に遭い命を落とす。現在は美浜町・大御堂寺(野間大坊)に祭られている。2013年、850年あまりの時を経て蘇り、愛知県美浜町に「美浜幕府」を開き再び源氏の棟梁となる。子の源頼朝・義経を従え、全国に散らばる源氏を集め、美浜町から源氏の再興を目指す。志半ばで謀反にあった故、平家滅亡・源氏再興にとても熱い思いを持っている。


源頼朝 1147年生まれ。源義朝の三男。母は由良御前。義経とは異母兄弟である。父・義朝が平治の乱に敗れたことから、伊豆に流される。20年あまりの流人生活を経た後、平家打倒の為、挙兵。義経や源義仲らとともに平家を滅ぼし、1185年に鎌倉幕府を開いた。2013年、平成の世に蘇り、父・義朝とともに源氏の再興を目指す。
源義経 1159年生まれ。源義朝の九男。母は常盤御前。頼朝とは異母兄弟である。父・義朝が平治の乱に敗れた後、奥州藤原氏の庇護を受けていたが、兄・頼朝の平家討伐に参加。数々の戦で功績を残すも、頼朝と対決することとなり、死に追いやられた。
弁慶 生年不詳。義経の郎党。
鎌田政清 1123年生まれ。乳兄弟でもある義朝の第一の郎党である。平治の乱に敗れ、義朝とともに自身の舅・長田忠致の元にたどり着いたところ、主君ともども謀反に遭い、命を落とす。現在は美浜町・大御堂寺(野間大坊)に祭られており、義朝の墓の横に眠っている。2013年平成の世に蘇り、源氏再興を目指す主君・義朝を支える。
梶原景時 1140年生まれ。源義朝の死後、源氏から平家に寝返ったが、石橋山の戦いで頼朝を救ったことから重用され、鎌倉幕府では権威をふるった。頼朝の死後に追放され、一族は滅ぼされた。2013年、平成の世に蘇り、源氏再興を目指す主君・頼朝を支える。
常盤御前 1138年生まれ。義朝の側室であり、義経の母。「平家物語」「平治物語」よると、義朝が平治の乱に敗れた後には、平清盛の妾になったと言われている。平清盛の死後、実子・義経と対立していた義子・頼朝に追われる身となり、都落ちをする。その死について、詳しくはわかっていない。2013年、平成の世に蘇り、源氏再興を目指す夫・義朝を支える。
北条政子 1157年生まれ。頼朝の正室。頼朝が伊豆で流人生活を送っていた時に出会い、恋仲となる。打倒平家の為、挙兵した頼朝を支え、頼朝が鎌倉に幕府を開くと、御台所として存在感を放った。頼朝の死後は、将軍の後見人として幕府の実権を握った。2013年、平成の世に蘇り、源氏再興を目指す夫・頼朝を支えるが、最終的には北条家が再び幕府を手に入れることを夢見ている。
静御前 生年不詳。義経の妾。静御前に関する記述は多く残っていないが、義経と敵対していた頼朝の前で、義経を慕う唄を披露し、頼朝を激怒させたエピソードは有名。2013年、平成の世に蘇り、源氏再興を目指す義経を支えるが、重要なことは源氏再興ではなく、義経の一番でいることなのかもしれない。
巴御前 生年不詳。頼朝・義経の従兄弟、源義仲の妾。義仲の妾でありながら、彼に仕える女武者として活躍した。2013年、源義仲の仇を討ちに平成の世に蘇ったが、仇である頼朝・義経はじめ一族に丸め込まれ、源氏再興を目指す義朝に協力することになる。